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風の歌を聴け 〜REMEMBER〜 女は三度目の便所から戻ると、あたりを見回してから僕の隣に滑りこみ、小声で言った。 「ねえ、悪いんだけど、小銭を貸していただけない?」 僕は肯いてポケットの小銭をあつめ、カウンターの上に並べた。10円玉が全部で13枚あった。 「ありがとう。助かるわ。これ以上店で両替すると嫌な顔されるのよ。」 「構いませんよ。おかげでずいぶん体が軽くなった。」 彼女はニッコリ肯いて、すばやく小銭をかきあつめると電話の方に消えた。 昔は携帯電話がなかったので、「ジェイズ・バー」や喫茶店などほとんどの飲食店にはピンク電話が置いてあった… 80年代になっても電話はまだアナログの時代で、TVドラマ『金曜日の妻たちへ』の主題歌「恋におちて」の歌詞に “ダイヤル回して手を止めた” とあったが、今の若い人にはまったく意味が通じなくなってしまっている。 このところ「シティ・ポップ」が生まれた時代を振りかえる中で、当時の村上春樹の作品をあれこれと読みなおしているのだが、糸井重里との共著のショート・ストーリー集『夢で会いましょう』の中、「シゲサト・イトイ」が印象深い… 露天商にたとえると(変なたとえだけど)、小説家の文章というのは「今日はここまで」と店じまいしても、あとに体温とかカゲのようなものが残りがちだけど、糸井さんの文章は「今日はここまで」というと、ほんとうにそこまででおしまいなのであって、あとにはそもそもの最初と同じ空間しか残らない。存在するか=存在しないか、という完璧な二者択一であって、そういう意味では糸井さんという人は天才的祝祭転換人ではあるまいかと僕は考えている。さっきまであったはずの日常空間が突然百パーセントの祝祭空間に変わっていたとか、あるいはその逆だったとかね。 そして、次には糸井重里の「シティ・ボーイ」。 汗の匂いはコロンで消えることを知っている人。ハンカチーフを持っていない人が、そのうちの80パーセントいる。 都市の裏道や抜け道に精通している人。何故か丸の内周辺の地理には詳しくない。 シティ・ガール以外の女性を口説くのが得意な人。理由は、よくわからない。 時代を代表した強烈な個性がぶつかり合う二人の競演は、“世の中にはナリユキという巨大な地下発電所があり、そのおかげで本書は完成し、陽の目を見ることになった。”と村上春樹が書いているように、まとまりがあるようなないような… そんなところが次のフレーズのある『風の歌を聴け』とも共通しているように思える・・・ あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。 僕たちはそんな風にして生きている。 ところで… 映画の『風の歌を聴け』の主題歌は「カリフォルニア・ガールズ」で、また村上春樹は「ムーンライト・セレナーデ」がこの作品にふさわしいと言っていたようなのだが… 私は大滝詠一の「雨のウェンズデイ」をBGMに、その当時を想い出しながら『風の歌を聴け』を読んでいる。
by sukimodern
| 2021-05-15 06:35
| 記憶の中の風景
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