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ノルウェイの森「この曲聴くと私ときどきすごく哀しくなることがあるの。どうしてだかはわからないけど、自分が深い森の中で迷っているような気になるの」と直子はいった。 「一人ぼっちで寒くて、そして暗くって、誰も助けに来てくれなくて。だから私がリクエストしない限り、彼女はこの曲を弾かないの」 The Beatles #
by sukimodern
| 2024-09-11 07:00
| 記憶の中の風景
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モダニズムのキャプテン 私は最近、二科の会場でパリ以来久方ぶりの東郷青児君に出会った、私は東郷君の芸術とその風貌姿態とがすこぶるよく密着している事を思う。なお特に私は彼自身の風貌に特異な興味を感じている。そしてそれは、最も近代的にして、色の黒い、そして何処かに悪の分子を備えている処の色男である事だ。私はあれだけの体躯と風貌と悪とハイカラさと、芸術とを持ち合せながら本人の出演を少しも要求しない処の絵画芸術に滞在している事を甚だ惜んで見た。甚だ御世話な事ではあるがと思っていたが。 一方で、紀伊國屋書店創業者であった、田辺茂一は『茂助の昨今』の中で次のように記している。 東郷青児が、パリから帰ったばかりの頃のことだから、大方、昭和の初めだろう。 その東郷と、児島善三郎とぼくと、赤坂のフロリダに行ったことがある。 そこで、誰が射止めたかは、今は忘れたが、ひとりのダンサーとの交渉なり、ホールの閉場(ハネ)とともに、三人でそのダンサーを送って、神田は駿河台の、ピーコック・ハウスという、彼女のアパートにでかけた。 その後、彼女のアパートが手狭だったこともあり、まだ独身であった東郷の家で飲み明かし、四人で雑魚寝したのであった… 顔を洗って朝、渋谷あたりで、うまい珈琲でも飲んで別れよう、ときまった。 その出かける玄関先のぬかるみで、東郷はひょいと、軽々と女を抱いた。 そのとっさの挙動、日本人にはめずらしい機転で、ちょいと追随を許さない。 ( 巴里仕込みだな‥‥‥)ぼくは感心しただけに、口惜しかった。 社長でありながら、ほとんど経営に関与せず、夜な夜な銀座に出現してバーからバーへと飲み歩き、華麗な女性遍歴を繰り広げて「夜の市長」とも呼ばれた田辺茂一でさえも嫉妬するほどのイケメンだった東郷青児は、小出楢重の言うように、悪の分子も備えていたためか、スキャンダラスな艶聞が絶えなかった… そして、巴里仕込みのセンスを持つ東郷青児は、ファッションやデザインの世界でも活躍した。 東郷青児画伯のデザインで出来たスリーピースのお洋服を この秋のファッションブックの一頁に発表いたしました 二科のモダニズムのキャプテン 「手袋」の詩人の構想になる この新粧で、秋のスタアトを切りませう! 実際に1949(昭和24)年までの作品には、悪の分子を備えていそうな雰囲気がまだうかがえるのだが、なぜかその後は、夢見るような幻想的な女性像の絵で有名になった・・・ この年に、戦後、二科会の復興に東郷青児と共に尽力した藤田嗣治が、国外追放となったことも関係しているようにも思われる…? まったく現実味のないことを“絵空ごと”というが… 晩年の東郷青児の絵を見るたびにこの言葉を思い出す。 #
by sukimodern
| 2024-09-08 07:00
| Art & Document
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西條八十(仏文学者・詩人)昭和4年発行の『新選 西條八十集』を買ったのは、ちょうどこの年に流行した「東京行進曲」が載っているのかな?と思って手にしてみたら・・・ 「東京行進曲」は載っていなかったのだが、「ランボオの初期の詩篇の研究」とか「マラルメの象徴的手法」といった詩論が載っていて、興味をそそられたのだった。 西條八十といえば、この本にも載っている童謡「かなりや」など、北原白秋、野口雨情とならぶ大正期の代表的童謡詩人として、また「東京行進曲」をはじめ、「東京音頭」「青い山脈」「王将」など無数のヒットを放った歌謡曲の作詞家の印象しかなかったのだが… アルチュール・ランボーの作品の訳詞も載っていたので、同時代の中原中也の訳詞(こちらの方が一般的で青空文庫にもなっている…)と一緒にあげておきます。 冬の夢(西條八十訳) 冬、ぼくらは青い蒲団のついた 小さい薔薇いろの車に乗っていこう、 ぼくらは幸福(しあわせ)だ。狂おしい接吻(くちづけ)の巣が、 ふっくりした隅々に置かれている。 あなたは眼を閉(つぶ)るだろう、 瑠璃(がらす)越しに あの意地わるな化物ども、 黒い悪魔や狼のむれに似た、 夕暮の影の顰(しか)め顔を見ないために。―― と、あなたは頬(ほっ)ぺたに触るものを感じるだろう、 いたずらな蜘蛛のよう、小さい接唇(くちづけ)が 頸(くび)すじを駈けまわる。 あなたは僕に言うだろう、頭を低(さ)げながら、 『見て頂戴』って。 そしてその生物を探すのに、ぼくらは時を潰すだろう。 冬の思い(中原中也訳) 僕等冬には薔薇色の、車に乗って行きましょう 中には青のクッションが、一杯の。 僕等仲良くするでしょう。とりとめもない接唇の 巣はやわらかな車の隅々。 あなたは目をば閉じるでしょう、窓から見える夕闇を その顰め面を見まいとて、 かの意地悪い異常さを、鬼畜の如き 愚民等を見まいとて。 あなたは頬を引ッ掻かれたとおもうでしょう。 接唇(くちづけ)が、ちょろりと、狂った蜘蛛のように、 あなたの頸を走るでしょうから。 あなたは僕に云うでしょう、『探して』と、頭かしげて、 僕等蜘蛛奴(め)を探すには、随分時間がかかるでしょう、 ――そいつは、よっぽど駆けまわるから。 ・・・・・・・・・ 四行詩(西條八十訳) 星は君が耳のさなかに薔薇色に涙し、 無限は君が項(うなじ)より腰に白くまろびぬ、 海は君が朱(あか)き乳房を鳶色(とびいろ)にちりばめ かくて、男は君が至上の脾腹(ひはら)に黒き血を流しぬ。 四行詩(中原中也訳) 星は汝が耳の核心に薔薇色に涕(な)き、 無限は汝(な)が頸(うなじ)より腰にかけてぞ真白に巡る、 海は朱(あけ)き汝(なれ)が乳房を褐色(かちいろ)の真珠とはなし、 して人は黒き血ながす至高の汝(なれ)が脇腹の上…… この『新選 西條八十集』が発行された時点では、後に昭和歌謡を代表する作詞家になるとは考えられなかったであろうと思われる。 当時は早稲田大学文学部文学科教授で、ちなみに早稲田大学文学部の卒業だから、村上春樹さんの先輩でもあるわけで… 在学中に日夏耿之介らと同人誌『聖盃』を刊行。三木露風の『未来』にも同人として参加し、大正8年に自費出版した第一詩集『砂金』で象徴詩人としての地位を確立したという、まさに正統的なアカデミックな経歴だったというわけなのだ。 映画の主題歌「巴里の屋根の下」は西條八十が歌詞をつけ、田谷力三が歌ってヒットした曲だが、今日のシティ・ポップのハシリだというのは穿ちすぎだろうか…? Sous les toits de Paris #
by sukimodern
| 2024-08-30 07:00
| Art & Document
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