1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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風街をゆく②「原宿・表参道」

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 かつての表参道を象徴する同潤会青山アパートは、2003年に解体され、跡地は複合施設「表参道ヒルズ」になっていて…

 今では、昔の建材などを再利用してつくられた、脇にあるささやかな建物だけが往時を偲ばせています。
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 同潤会アパートは、関東大震災の復興のため、耐久性を高めるべく鉄筋コンクリート構造で建設され、当時としては先進的な設計や装備がなされていて、 完成当時は軍人、役人、大学教授などしか入居できない高級アパートだったようです。
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 1945年5月の東京大空襲によって、青山・原宿・表参道は甚大な被害を受けましたが、耐震耐火構造で建設されていた同潤会アパートは焼け残りました。
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 戦後は占領軍であるアメリカ軍が代々木公園にワシントンハイツを建設。
 これを機にこの界隈にはアメリカ人向けの店ができ、そのような店が中心となって、1960年代以降、原宿・表参道はファッションの中心として発展したのでした。
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 私がよく訪れた1980年代には、その当時は斬新だったオープンテラスのカフェレストランやいわゆるポストモダン建築としてもてはやされた異様な建物が次々とできていて、話題を呼んでいました…

 「表参道ヒルズ」のすぐ隣には神宮前小学校があるように、もともと住宅街だったこの界隈には、その当時、表参道のすぐ裏手にも民家が残っていて、斬新で異様な建物とのコントラストがとても新鮮だったことを覚えています。

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 現在は小学校の周辺には民家はほとんど残っておらず、繁華街とあまり変わらない雰囲気になってきていて、また、いたるところで外国人観光客の姿を見かけます。

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 住宅街にある原宿ジートルンクは、1970年代にできたアパートのようですが、今ではベンチャーオフィスやSOHOが入るテナントビルになっていて、なんとなく昔の同潤会アパートを思わせます…
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【参考】
 岩波写真文庫(1952年)より
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# by sukimodern | 2018-11-14 07:00 | 記憶の中の風景 | Comments(0)

風街をゆく①「みゆき通り」

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 みゆき通りを挟んで青南小学校が見えるフロム・ファーストビルができたのは、1975年です。

 イッセイ・ミヤケのショップが入るこのビルの登場は、みゆき通りがファッションストリートとなる起爆剤になったといわれています。
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 久しぶりの東京…
 私がよくこの界隈を訪れたのは1980年代ですが、みゆき通りの名前は、その当時人気のあった漫画「みゆき」と関係あるのかと思っていました。
 しかしながら、そうではなくて、戦前に天皇が明治神宮を参拝する時の通り道としてつくられたので、御幸(みゆき)通りと呼ばれたのだそうです。

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 フロム・ファーストビルの設計は、ユニークな「顔の家」を手がけた山下和正建築研究所ですが、中央に吹抜けや回廊を設けるなど、今日ではよく見られる複合商業ビルの先駆になっていることがわかります。

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 近所にあるヨックモックも、1978年にできた建物です。
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 さて、フロム・ファーストビルの向かいにある青南小学校の歴史は古く、明治時代にできた小学校です。

 卒業生の中村草田男が母校を訪ねた折に詠んだ「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句碑があるようですが、卒業生では他にも北杜夫や安岡章太郎といった小説家、あるいは岡本太郎やオノ・ヨーコなどの有名人がおり、作詞家の松本隆さんもその一人です。

 フロム・ファーストビルができた1975年は、荒井由実、山下達郎、大貫妙子、南佳孝、矢野顕子もレコーディングに参加していたという、ティン・パン・アレーの伝説的アルバム『キャラメル・ママ』が発売された年でもあって、松本さん作詞の「ソバカスのある少女」と「はあどぼいるど町」もここに入っていましたね…

 「はっぴいえんど」時代のアルバム『風街ろまん』の<風街>とは、松本さんが生まれ育った昔の青山界隈のことを指していて、1964年東京オリンピック以降の開発・近代化で急激に失われていった「古きよき日本・東京の姿」を象徴する原風景となっています。

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 みゆき通りから一筋目の青南小学校の正門がある通りには、今も住宅街であった頃の面影が感じられます…
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 表参道交差点の近くにある大松稲荷神社は、その昔この地にあった大きな松が由縁で、1839年の創建。
 向田邦子の終の棲家となったマンションの隣りにあって、エッセイ『父の詫び状』にも登場しています…
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# by sukimodern | 2018-11-12 07:00 | 記憶の中の風景 | Comments(0)

「アーチの宴」京都府庁旧本館<2>

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 京都府庁旧本館が建てられたのは明治37年。
 東京府庁(明治27年)、兵庫県庁舎(明治35年)についで3番目に建てられた庁舎ということですが、ほとんど同時期に建てられた兵庫県庁舎に雰囲気がよく似ているように思います。

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 以前にも、「アーチの宴」というタイトルで紹介した兵庫県庁舎であった兵庫県公館と同じように、ルネサンス様式のこの建物は回廊や窓などの優雅なアーチが特徴的です…

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 ひんやりとした石と漆喰のアーチの生み出す空間は、ヨーロッパの修道院のような厳かな雰囲気を醸し出しています…

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 多様なアーチの連なりは、格調高く贅沢な空間を演出しているようでもあります…
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 見事なケヤキ並木から望む…
 京都府庁旧本館。
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# by sukimodern | 2018-11-10 08:00 | Comments(0)

京都府庁旧本館<1>

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 私が烏丸丸太町に来たのは、実はとてもミーハーな理由でありまして、数年前から京都に住んでいる作詞家の松本隆さんのお気に入りのカレー屋さんがこの近所にあったからで…
 ついでと言ってはなんですが、大丸ヴィラと京都府庁旧本館を見ておこうと思ったというわけです…
 
 府庁といえば中庭にある桜が有名で、毎年とても賑わうようですが…
 今も執務室や会議室として使用されている建物は、創建時の姿をとどめていて、見どころは尽きません…

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 人類初の有人宇宙飛行を成功させたガガーリンが、来日時に詰めかけた観衆に手を振ったバルコニーや、「天皇即位の礼」の閣議が開催され、多くのセレモニーの舞台となった正庁など、それぞれに歴史が刻まれているような気がします。
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 前回の大丸ヴィラの関係で、ブルーノ・タウトの日記を調べていたのですが、昭和10年4月1日にタウトは、工芸品製作指導顧問に就任する件で、上野伊三郎と一緒に京都府庁を訪れています。

 懇談の結果、主要な点については双方の意見が一致し、私はこの六月に顧問に就任、任期は一ヶ年ということに内定した。なお正式に決定するまでは、都合によって私が京都へ来られない場合に上野君を私の代理に立てたいという申入れも承認された。群馬県と違って、京都府庁には工芸の指導を担当する特別の中央事務局があり、ここに諸方の試験所や組合から選ばれた専門家が集まって協議するという仕組みである。

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 ところが、同年5月14日に府庁を訪れると…

 府庁では、私を京都府の『官吏』にしたい意向らしく、私が京都を居住地とすること、群馬県側の了解を得ること、月に二十日以上京都にいること、の三条件を私に提示した。私としてこれをどう処置するかは、いま少し成行を見た上できめたい。

 結局、この話は立ち消えになったようです…
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 建物内部には和風の優れた技術が巧みに取り入れられるなど、内部意匠のひとつひとつが工芸作品といった趣さえ感じられます。

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# by sukimodern | 2018-11-08 07:00 | Comments(0)

大丸ヴィラ(ブルーノ・タウトの『生家』)

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 京都市営地下鉄、烏丸丸太町の北西出口を出たところにある大丸ヴィラは、大丸百貨店の社長であった下村正太郎の自邸として、昭和7年に建てられたものです。
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 設計は、同じく大丸京都店や大丸心斎橋店を手がけたヴォーリズで、建物及び家具は、16世紀頃にイギリスで流行した様式であるチューダー様式で設計されています。
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 ほぼ純粋なチューダー様式による、昭和初期の京都を代表する邸宅の一つとして貴重なもので、「チューダー」にちなんで「中道軒」とも呼ばれていたそうです。
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 以前は外商顧客の招待会場に使われていたようですが、現在は建物内部は非公開になっており、是非とも、一般公開して欲しい建物です。
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 ところで、この下村邸であった大丸ヴィラは、建築家のブルーノ・タウトが滞在したことでも知られています。
 来日したその日に下村邸に宿泊し、翌日に桂離宮へ案内されたタウトは、「泣きたくなるほど美しい印象」というほど感動します…

 その後は群馬県高崎に移りますが、京都に来た時には下村邸に宿泊しており、日記には次のように書いています。

 京都では、また下村邸に厄介になる。この中世英国風の邸宅は、日本における私の『生家』であり、家も室も私にとっては歴史的存在だ。家具調度は整然としているし、寝台も立派である、しかし私はもう長いこと畳の上で寝つけているので、寝台だと柔らかすぎて却って安眠できない。その所為か、夜中自分でも知らない間に寝台から降りて床の上に眠っていた。

 桂離宮に代表される簡素さや清澄さという日本の伝統美とはまったく異なる洋風建築を「いかもの」として蔑んだタウトにしては、何故かこの洋館は気に入っていて、これもヴォーリズ設計の成せるわざなのか?
 それとも『つくられた桂離宮神話』にあるように、タウトについては誤解されているのかもしれませんね…?

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 昭和9年3月号の雑誌『住宅』には、次のような記事が載っています。

 前以って打合せしてあった時刻に、タウト教授夫妻を、大丸社長下村氏邸にお迎えにあがる。かねて本誌(昭和8年1月号)にも紹介した事のある英国チューダー時代の様式に依って、装飾されたけんらんそのものの様な、ホールに通される。こうしたエキゾチックな雰囲気にみちた部屋で、タウト教授と親しくお話しするのも、自分の身が、遠く異郷にある様な気がしてならない。先、前々日、突然訪問した不躾さを謝し、今日の行程を、大体お話する。そのうちに、タウト夫人が、外出服装でお出ましになる。
 ~(略)~
 今日の一行は、タウト教授夫妻、上野伊三郎氏、そして私と通訳の永井君の五人。下村氏もお誘いしたが所用があって辞せられる。下村氏の御好意に依って、お車を拝借し、それに乗り込む。

前列左からタウト・井村健次郎(大阪合同)・タウト夫人
後列左から小林清(『住宅』編集部)・山本磯十郎(あめりか屋)・上野伊三郎(建築家)・通訳 [井村邸にて]
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 向かい側には京都御所もあり、落ち着いた雰囲気のある大丸ヴィラの周辺を、もう少しブラブラすることにします…

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# by sukimodern | 2018-11-05 07:00 | Comments(2)